"からだの声"と"あたまの声"
6月は、疲れのたまりやすい時期です。
季節の変わり目で負担がかかったり、4・5月と頑張っていた疲れがどっと出てきたりと、さまざまな影響があらわれます。
梅雨になるとよりからだへの負担が増えます。
そんな時、からだはとても正直で、「休みたい」と声をあげています。
しかし、人は往々にしてからだの声を無視してしまいます。
(しんどいな~)と思っていても、「いや、今は〇〇しなければいけないんだ」と自分を説得してしまいます。
そうして、つかれていても見ないふりをして頑張りすぎてしまう大人や子どもがたくさんいます。
「〇〇すべきだ」というのはあたまの声で、理性の呼びかけでもあります。
人間が社会生活を営むうえで、あたまの声は重要です。
しかし、このあたまの声が大きくなり、理性が肥大化してしまうと大変です。
気付くとからだが動かなくなっていた、という人にはこういったパターンが非常に多いように思います。
さまざまな療法がからだの声を聞く重要性を訴えているのは、あたまの声を優先しがちな社会になってきたからかもしれません。
一方で、逆にからだの声ばかり優先したらいいかというと、当然そうではありませんね。
それぞれの人が思いのままに生活したら、それはそれで大変です。
大切なのはバランスです。
からだの声とあたまの声の調和がとれているか。
WING風に言うと「流れているか」が大切になります。
以前、イライラしてあらゆるものに当たり散らしてしまう子がいました。
どういう時にイライラしてしまうのかを聞くと、「自分は疲れた時にどうしようもなくイライラしてしまう」ということを話してくれました。
どうしたらいいか話していくと、「今日は早く寝て、からだを休めてみる」と決めました。
次の日、その子が来ると「たくさん寝たらめちゃくちゃ調子がイイ!」と嬉しそうに報告してくれました。
それからその子は、疲れると早く寝るようになり、自分のからだとの付き合い方を身につけていきました。
どちらか一方により過ぎるのではなく、自分のからだの声を知り、あたまの声との折り合いをつけていくこと。
そういう状態こそが「自由」と呼ばれているものであり、子どもたちにも感じてほしいことだと思います。
(文責 スミス)