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“パイダゴーコス”でありたい

日々の記録

教師という言葉は、今から2500年前、古代ギリシャで生まれました。

当時、ギリシャでは子どもが6歳になると学校に行くことになっていました。

ギリシャには洗練された文化があり、市民は政治や経済の知識が求められましたので、子どもたちは「一人前の大人」になるために、読み書きや計算、音楽や体育、詩の吟詠、教養など、たくさんのことを習いました。

さて、この教育を受けるために子どもたちは学校に通うわけですが、登下校の最中に危険な目に会うかもしれません。

そこで、当時はどの家庭にも奴隷がいたので、この奴隷に、学校にいく子どもの送り迎えをさせていました。

学校によっては、子どもが勉強している間、奴隷が待っているための部屋を用意しているところもあったそうですが、多くの場合、奴隷は教室で一緒に授業に立ち会っていたようです。

ですから、家に帰ると彼らは家庭教師となって、子どもの復習の相手もしました。

それが、彼らの仕事だったのです。

そういう仕事をする人のことを、「子どもを連れていくもの」という意味で”パイダゴーゴス”と呼びました。

これが、「教師」(Pedagogue)や「教育学」(Pedagogy)の語源になりました。

この事実は、とても意味深いことのように思われます。

当然、学校で子どもに教える教師もいたわけです(ディダスカロスと言いました)。

しかし一方で、子どもと一緒に歩きながら、危険があれば守り、心をくばり、必要であれば力になる人間がいた。

そして、そういう人間の仕事が「教師」という言葉の語源になった。

現在、教師の仕事の中心は「教える」ことだと考えられがちです。

しかし、人間の教育においては、そばにいて共に歩んでいく方がより根源的なことなのかもしれません。

自分は”パイダゴーゴス”としての教師であれているか、常に問いかけていきたいと思います。

(文責 スミス)

 

〈参考文献〉

林竹二(1980)『学校に教育をとりもどすために 尼工でおこったこと』筑摩書房

紺野祐「教育の過去1 ――教師「パイダゴーゴス」に学ぶ――」東北学院大学教育学科論集(2021)    第3号 pp.106-107

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